ヤマサファミリー②「つくば一破天荒な生活」 | YASU-NIKKI

ヤマサファミリー②「つくば一破天荒な生活」

今日は引き続きヤマサについて綴る日記です。

 
(やす…2003年11月入居 箱木君…2004年4月入居 遠藤君…2004年夏以降は毎日宅通、2005年1月入居)


やす部屋、箱木部屋、遠藤部屋、基本はドア開けっ放し。出入りが多いこと、三人とも盗られてまずいのがパソコンくらいということ、僕はドアにオートロック機能がついてしまっていることなどの理由がそれを可能にしました。通風も良く部屋への日当たりは抜群。。そして様々なゲストが入れ替わり立ち替わりやってきました。

ドドリアいなりーカマーはかなりの常連でした。ヒクソンもかなりの重症。よっしーも大のヤマサ好き。これに住人3人を加えた8人がいわゆるヤマサファミリー。みんな最初は“この家おかしいから!”とつっこみつつだんだん中毒になっていきました。

やど祭委員はみんな一度は来ているのではないかっていう勢い。1ヶ月近く遠藤部屋で写真の仕分けやってたし企画っ子はとかやったしね~盛り上がってみんなが帰った後は3人で反省会を開くのが定番でした。

4~6月のやど祭期間中は実に様々な人が風呂を借りに来て、風呂が溜まる&順番待ちをする20分くらいの時間をいかに楽しんでもらうか、写真とかテンションを利用して僕も頑張りましたwここで知り合った一年生も何人もいるしね。ヤマサならではのコミュニケーションです。

ジャムっ子は風呂の他に音作りで僕の家来たことある人も多かったねぇ。その都度壁にダンサーズサインを書いてもらいました。砂壁の上の真っ白な壁紙はジャムっ子の落書きとジャムでの写真とイベントのポスターやフライヤーで埋まり、僕が心底ジャム好きなのがバレる場でもありました。

 

 
さてさて群雄割拠入り乱れる中、僕にとってのヤマサはなんだったか、改めて振り返らせてくださいな。。

 

  

僕は3年の秋から4年の夏くらいまでの頃は就活、ダンスのコンテストを中心に軸がぶれたり、プライベートなことでも心が揺れたりと情緒不安定だった時期なんよ。

もちろんその都度乗り越えて成長してるんだけど、すぐまた何が最善か分からなくなって、他方授業やカテキョといったルーティーンだけは忙しくて、疲れてた。今より考え方の切り口や検証、切り替えも甘かったしね。

  
 

参考記事→敗れて、砕けて、負けそうになる。負けない。 (2004年11月)

       現在五里霧中。 (2004年12月)

       つれづれなき日々。 (2005年1月)

       疲れたときにはエスカップ、イエローキャブのコFカップ。 (2005年2月)

不調。 (2005年4月)

       やす雑記(4)~ざわめきの日々~ (2005年6月)



でもどれだけ悩んでいようが

へこんでいようが

傷ついていようが


いったん箱木家のドアを開ければヤマサの日常が待っている。これがホッとしたんよね。



そして僕は箱木家の飯に手を出すようになり、

炊飯器を持ち込飯を炊き、

カワチとカスミの安売り日に買い出しに行き、こんにゃくを煮て、

漫画を読み(はじめの一歩、ドラゴン桜、彼氏彼女の事情、ハツカレあたりはヤバかった!)、

タバコを吸い、

ビッグベン半額の日に大量(計5000円弱)のCDを借り、

ノリで筑波山に行き、

ドラクエ5をやり、

今後のやど祭について会議を開き(ヤマサ会議)、

漫画を描き(長編漫画GPS!あの構想はアツかった!)

朝方には必ず箱木家で眠っていました。



箱木家中央集権問題解決のため調理道具と材料が僕の部屋に移されて深夜毎日遠藤君が来たり、

遠藤君の片さない洗い物を僕が片す日々が続いたり、

一方僕らも箱木家にたまりすぎ、てかぎゃっつさん人の布団で寝るなよって話になって法治のためヤマサ荘家訓が生まれたり、

コンポやネットやIP電話が導入されたりと

日常の中にもささいな変化が訪れていきました。


固定メンバーも揃い、24時間誰かしら必ず箱木部屋にいるという学実委並みの自主シフトが組まれ、そんなある日。


“親が実家(神奈川)から通えって・・・orz”


箱木君の一言に慌てて全メンバーを召集し、8人による会議。僕は危機回避のためにスケッチブックを使ったプレゼンまでしてましたw。

箱木君は学園の新しい家での一人暮らしということで何とか落ち着いたものの、ヤマサ荘3人の共同生活は解散。新箱木家もある程度たまり場になってますが筑波大の常識範囲であり、何でもありで破天荒なヤマサライフは消滅しました。


さよなら、ヤマサライフ (2005年9月)


「箱木君・・・きみが帰ったら部屋ががらんとしちゃったよ。でも……すぐになれると思う。だから………心配するなよ箱木君」


この台詞は・・・もちろん某有名マンガのラストシーンのパクリだけどwwでも、まぎれもないあの時の僕の気持ち。

  

それはこれからは助け合っても馴れ合うことなく強く生きていこうって決意だったんよ。

  

宅建、学祭、卒論、冬メル。この時期、もう目的は確固たるものになっていた。。僕は悩んだり迷ったりせずに学生生活最後の課題に向けて取り組めたんだ。

 

 

旅に疲れた人は、帰る場所さえあればまた旅立てる。

 


これから何年間になるか分からないけど、大局的に悩んだりすることなく仕事やってけるかな??なんてったって本気になっていくから平気な気もするけど、もし帰る場所がほしくなったら・・・

 

結婚????あ~間に合うと良いなっ!

 

明日は・・・誰書こう。。まだ未定(+_+)