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「ヤマサファミリー①」-リアルスラムも住めば都-

ヤマサ荘・・・。そこはつくば市某所に存在する築20数年のアパート。家賃は管理費・共同風呂代・水道代・駐車場代全てこみで22000円

 

名義貸しがばれて平砂宿舎を追い出された僕はその日の夜中につくばアパートマップなるものを片手に学園の低家賃物件をチャリで見て回り、風呂が比較的きれいで学校に近いここを選んだのです。

 

 

どんなに目張りをしても外と室内の気温が常に一緒になるいう24時間換気システム

 

ドアが中から開かなくなったり鍵をしてないのに勝手に鍵が下りてきたりといったオートロック機能

 

あっという間にブレーカーが落ちたり、さらにはテレビがどんなに配線工夫しても波線と雑音で恒常的に映らないのでテレビ見ない&部屋にいなくなるという安心の節電システム

 

どれをとっても新築一戸建ての最新商品に負けない設備だねと一瞬だけ思うようなミラクルな部屋でした。。。

  

 

平砂宿舎がスラム、僕が住んでた一階がグランドスラムなんて呼ばれていたのも懐かしいです。こここそがリアルスラムでした

  

 

そんな部屋ですがぽろぽろ崩れ落ちる砂壁を白模造紙で覆って明るくし、さらに間接照明で優しい光を当てるとそれっぽい部屋に。。さらに家具、カーテン、フローリングマット、カーペット、工夫に工夫を重ねて「フツーの部屋」「オシャレな部屋」を目指していきました。。


  

この家にはメリットとして「風呂使い放題」があります。風呂代が共益費として含まれているのでお湯溜め放題、貸し放題!!!ジャムっ子や企画っ子はお世話になった人も多いかと思います。

 


ある日も後輩が風呂を借りに来ました。彼は「ここ全然いいじゃないですか!」と(工夫完了後の)僕の部屋と家賃を聞いてびっくり。2ヶ月後には住人となっていました。


彼こそが三軒隣の箱木君

 

 

毎日のように、ではなく本当に毎日、風呂を借りに来る同輩がいました。風呂後もヤマサ荘にひたすら残り、だんだん風呂前から居座るようになり、ある日は風呂を忘れてそのまま帰って何しに来てるんだって話になり、やがて住人となりました。

 

彼こそが人間学類の遠藤君

 

 

こうしてヤマサライフなるものが始まっていました。そしていつしかヤマサファミリーが結成され、やど祭に少なからぬ影響を与えるようになっていきましたww。続きは明日書きます。東京に戻る前にはたしてヤマサネタはどこまで書いて良いものか相談しにちょっと新・箱木家に寄ってきます★

ぜんぽ‐筑波大で一番ギャル男みたいな格好してる人‐

ぜんぽとは、出会ってソッコー仲良くなったもんです。

 

 

ありとしさんってゆー共通の師匠がいたのがきっかけだね。(僕・・・ジャムの先輩として ぜんぽ・・・高校の先生として)


部局も違うし仕事で直接関わるわけではないのですが、僕はぜんぽをかわいがりまくった!その度素直にについてきてくれたり逆に誘ってくれたりして嬉しかったな☆そーいったら例の山形2往復ツアーにもぜんぽのたってのお願いということで挙行されたのでした。

 

 

企画っ子の集まりにも僕は毎回彼を呼んだし、2人で遊ぶときはやど祭の真面目な話なんかもよくしました。

 

自分と似ていて破天荒で既成概念に縛られない一面がある奴なので、僕がやど祭において経験した仕事上・人間関係上の失敗やフラストレーションを繰り返す可能性がある。

 

そんな意識でもって大局的な組織への考え方から日々の行動までぜんぽの話を聞いたりしました。

 

 

“やっぱヤスさんはありとしさんの直系の弟子っすね”って言われた時は嬉しかったな~。本当の弟みたく思ってます。 

 

 

まぁこいつは

 

大学にセンターGUY+ホスト÷2みたいな格好で来たり


やど祭でも落ち着かずPGB旋風を巻き起こしたり


ニッチ志向のやりたい放題欲求が強かったり

つっこみどころ満載、まさにギャル男ぜんぽのお騒がせつくばライフ。

僕の通ってきた道を歩み続けている。あんなに話聞いたのにデメリットにいたるまで僕と同じことを繰り返すw

 
 

だけどその高いマネージメント力と実行力で、きっと彼も描いているイメージを達成できることでしょう。

 

てなわけでお騒がせな弟ですがこれからもみなさん彼のことを宜しくお願いします☆


明日は・・・「ヤマサファミリー」

「よっしー」-ドキドキさせないドキンちゃん-

僕とよっしー。やど祭でのあだ名で言うならぎゃっつさん&ドキンちゃん。

一体この2人は今まで何十回“え、付き合ってるの?”と誤解されたんだろうかw

 

ドキンちゃんことよっしーとの出会いは入学してすぐのやど祭企画部局。最初は北海道出身のかぁいらしいコってイメージだったけど、お互いの素性を知るうちに、そしてよっしーがやど祭期間の差し入れのお菓子を食べ尽くしていくうちに、良い意味で全く異性としてみなくなるくらい仲良くなっていきました。
 

 

よっしーとのパートナー契約が成立したのはその年の冬。。なんとなくとか、ただ仲が良いからとかではなく、実は僕は意識的によっしーと一緒に仕事をしていくことを選んだんだ。 

僕は一年の頃、“自分はやど祭委員としての仕事への切り口・対人関係の面において、賢さ・丁寧さ・現状判断能力・アフィニティ(親和性)において欠けている部分が多いな~”って自己分析してたんよ。

でも、そーゆー自分の弱点に対して、やど祭の仕事の中で悩みながらもがきながら、泣いて気づいて教えをこいて、成長していこう!…とは思えなかったんだ。

 

なぜか。成長するためには絶対、膨大な量の時間を費やす必要がある。

 

当時は初心者のダンサーとしてジャムにすごい時間をかけていく必要性があって、ジャム:やど祭の時間比率が95:5くらいだった。

でも次の企画を担うバトンは既に自分たちの代に引き継がれている。

 

・・・じゃあどうやったら今の自分のままで結果を出せるだろう??

そんな時によっしーに大きな可能性を見いだしたのです。賢くて、人に好かれて、新聞とか雑誌作ったりという概念を具体化することに大きなアドバンテージをもっているよっしー。このコなら、僕のマイナス面を補ってくれるかもしれない。

“ドキンと2人でステージ企画をやらせてくれ”と企画部長仙一に頼んだ真冬のがんこやも良い思い出だ。

 
よっしーは最初は、りべろが副部長になってステージ企画人員が足りなくなったところに御輿からぎゃっつがやってきた、くらいの認識だったんじゃないかと思います。僕は、企画の独創性・プレゼン・色々な人とのつながり・徹底力といった自分のアドバンテージでもって、よっしーを補っていこうとしていきました。

ドキンが煮詰まればぎゃっつが案を出す。ぎゃっつが先走ればドキンが足場を固める。ぎゃっつのアイディアをドキンが仮説に昇華させ、それをぎゃっつが具現化していく・・・

 

もともと仲が良かった二人だけに、こんな風に助け合い、支えあって仕事していくようになるまでにはそう時間はかかりませんでした。。

 

様々な障害があって、色んなことを犠牲にして、成功させれば全てが報われると信じて2人でやってきた2年生の期間中のエピソード。これはなんだかんだとけっこう色んなところで話してきたし、これからも小出ししていくかもしれないので多くは触れません。。


  

やど祭が終わり、よっしーとは「自分の持っていないもの武器をもっている実務的なパートナー」から「お互いの成長と利益追求のために手を組む総合的なパートナー」になっていました。

 

ある時は二人で東京に行って就職についてのインタビューの仕事をし

 

ある時はよっしーの新設サークルが学園祭で模擬店を出せるよう仲介的な仕事をし

 

次の年のやど祭ステージ企画における課題と問題について確認しあい

 

そして、それぞれのフィールドが別世界で特化していっても必ず定期的に会い


今でもその関係は続いています。。


お互いそれぞれのステージで頑張って、二人で会うと今やってることからつながっていく夢を語って、疲れてきたらヤマサでぐでんとしてたもんだね。

 

渋谷でインターンしてるマーケティング職のよっしーと、渋谷で内定者してる営業職の僕。いつの日かまた仕事において利害一致の元手を組むときがくるかもしれない。。その時になって困らないよう、今のうちに頑張れるだけ頑張ってみよう!!!!

 

明日は・・・「ぜんぽ」


2月8日はやっぱり何かが起こるのね

2月8日は僕にとって「決意の日」あるいは「初心を思い出す日」。。。大学に入ってから偶然なほど毎年色んなことが起きているのです。。

 

 

※注・・・今日の日記は概念の話(叙情的な内容)ばっかりで、しかも恥ずかしいエピソードも多く、僕のことをぜんぜん知らない人はともすれば「なんだコイツ」って誤解しかねないような日記になりそうなので、斜め読みor見てやるかーって僕を許す気分でご覧ください。

 

 

3年前のこの日は好きな人と2人でご飯食べに行ったな~その後自分の小ささが悔しくなって夜中のつくばセンターで泣いてましたw


2年前のこの日は、ちょうど最近書いたけど車GETを目指す日々。。石丸電気バイト後にダンス場で練習してたらその人が僕に手を振ってくれて、あぁ自分はこの人のために頑張ってるんだったな、って初心を思い出しました。。。(アホみたいな話ばっかですみませんw)

 

 

去年のこの日は就活イベントで釈由美子を生で見てテンションが上がったなww

 

まぁそれだけじゃなくて、釈さんみたいに素敵なお姉さんや意気揚々と自社をレペゼンする大企業のビジネスマン、それらをつかさどるイベントのスケールと比べたときの自分の「お客様状態(=対等でない、無力、小さい、何も求められていない)」がもう笑えるくらいのレベルで、こうなったらこのビジネスの世界でありえないくらい成長していくっきゃないんだな、って決意を新たにした日だったのです。

 

 

今年は・・・夜までは今日が2月8日でそんな日だってこと忘れてた。。。

 

 

で、実は今日はお昼に粉クリ(学校のカフェテリア)で昔ちょっと色々あったコとひさびさに会ってねぇ。。

 

夜今日が2月8日だって思い出したことだしせっかくの偶然はうまく利用しとくか~くらいの感覚でそのコにメールしてみたんよ。。。今日はひさびさだったね~今度遊べたら良いね~みたいな感じで。。

 


だけどそのコは平日は休みないんだって。。いや、それは学生であれ社会人であれ普通なことなんだけど、問題は僕が土曜、日曜は必ず働いている人だってこと。

 

あ、・・・もう、このコと会うことはないんだ。。

 

向こうもそれを察して、「ヤスのいいところを活かして、これからも頑張ってね!」みたいな内容のメールが来た。ホントお別れって感じの締め方w

 

そして気づく。。。

 

僕は色んな人と、もう会わなくなっちゃうんだなって。。

 

毎日一緒に練習した仲間も、意見を戦わせた同士も、馬鹿やった男友達も、笑顔でいさせてくれた女友達も。


確かに僕は会社が火曜日・水曜日連休のときもあるけど、その時はみんなにはみんなの時間の過ごし方がある。。 

 

みんなが息抜いて集まる土日は自分の戦場。認めたくない!ってだだこねたところで、構造的に会わなくなるようになってるんよ。。

 

そうして、想い溢れる人たちとも会えなくなるんだろうなって考えて、すごく寂しくなった。。


なんとなく、この1ヶ月のようにうまいこと時間作って会える気がしてたけど、そのコとのメールで、違うんだな、環境が変わっていってるのは僕だけじゃなくお互いなんだなって気づいた。。


  

「現在」が「思い出」に変わっていくのをリアルに感じる。。


あの時あの場所で出会ったんだっけ、あの店連れてったっけ、僕何て言って口説いてたかなw、そのコのバイト先でピアス選んでもらったな~

 

・・・そのコとのエピソードはつい今日までとりたてて思い出す必要もない「現在」だった。

 

それが、帰ってこない、愛しい、切ない、「思い出」に変わった。

 

 

これから、「思い出」になる人達がもっともっと増えてくる。。別れのときは着実に迫ってきている。。

 


僕はたくさんの思い出を胸に秘めたとき、いったい何を想えるようになっているのだろう。

ありがとう、そしてさようならPART2

あれは11月のこと。満杯に近づいてきた携帯のメモリーから疎遠な方を削除していく代わりに記録としてここに名前を刻みました。

 

関連記事→ありがとう、そしてさようなら

 

それから3ヶ月しない間にメモリーは増え続け、現在475件…。社員さんの連絡先を始め色々お仕事関係で増えてくのです。お別れするのは辛いけど、心を鬼にして消してみます!50件も。疎遠なところから。。


家庭教師のタートル先生。だらしなく傲慢な僕が大学1年にして初めて社会の厳しさを知った場所。電話での話し方や数字にこだわる姿勢をはじめとする営業の基本の基本を教わりました。バイト仲間だったふーさん福山さん山本さん町田さん菅井くん浦山さんそして熊谷支社ありがとう。



ガストつくば学園店では作業をどんどん速くしていく意識を学びました。バイト仲間の阿部ちゃん、女子高生に仕事を教わったなんて経験は後にも先にも君だけだと思います。ありがとう。



短期アルバイトの仕事って疲れるし単調になりがちなルーティーンが多い。なのにとても温かく楽しい雰囲気で仕事ができました。ムービング三徳商事木村さんYOUワールドオアシス、ありがとう。



飛び交う専門用語、オフィス街を颯爽と歩くビジネスマンとしての姿…東京で働きたい!改めてそう思いました。ジェイテック高橋さんパワードコム高島さん、ありがとう。



シフトに入れる曜日、時間が合わなくてご縁がありませんでしたがちょっと働いてみたかったです。ゴールドゼロンやぐらカフェなかやま天神花畑スパーデルタ進学会。ありがとう。



自分のアドバンテージを生かせて時間も自分で決められ、茨城ながらのゆるいなあなあも効いた家庭教師のアルバイトは、大学生活においてバイトを本気になるフィールドにしたくない自分にとって本当に天職でした。家庭教師仲介業高野さんふぁいとワイド企画


そして派遣先の横山家石塚家小林家飯田家亀谷家荒井家竹澤家。ありがとう。半分以上は卒業までめんどう見られずに終わって申し訳なく思ってますがみんなが塾にも行っていてそこで結果を出せそうな子達だったのが救いです。またいつか遊ぼうなって約束した生徒たちのケー番は消してないからねっ。



そんなにお世話になってないけど連絡する必要があった時に登録しました。ずばっと削除します。シューティングスター土浦ケーブルテレビつくば市アンケート調査係つくば市郵便局やまや大江戸温泉そしてヘアーピース高野さんなんとなくありがとう。

 

大学生活の間で様々なきっかけで知り合ったもののその後の関係が続かなかった人々。今回は涙を飲んで削除しますが縁があって再び出会ったらぜひ仲良くなりたいっす!そう思ったからケー番交換したんだと思うしね。。はぎさんすすむたかのぶなつみちゃんえりなちゃんなっちゃんえりさとうさんなおこ、ありがとう。もしこのブログを見てくれていたらぜひミクシィで声かけてください

 

 

これで48件消去。あと2人か・・・よし。。

 

 

やすよさん!!!やど祭委員が毎年夏手伝ってる地域行事「谷田部祭り」で出会って2年連続で楽しく飲みましたね。。「きゃーこんな若い子があたしのところに来てくれるなんてー!!」って喜んでもらえるのが嬉しかったので色々雰囲気作り等盛り上げたつもりです。お仕事頑張ってください~メールなかなか返さなくてすみませんでした☆

  

うーん・・・年上過ぎは駄目ですね。。。

 

みか!!夜の西葛西駅前で酔っ払いにからまれていたところを僕が機転を利かせて救ったという電車男のような出会いをした、中学生。。。。方向が一緒だったのでそのまま2人で帰り、なんとなく番号交換。その後の進捗、全くなし。(あったら困るんだけどねw)

 

うーん・・・年下過ぎは駄目ですね。。。

 

  

でも違った世代の人とプライベートな話するのはけっこう勉強になったり面白い気づきが多いんす。ありがとう。


 

そして50件分の皆様・・・

 

 

・・・さようなら!

 

 

(削除中・・・)

 

 

・・・削除完了っ!出会った人とはいつまでもつながっていたいものですね。 


 

「パンサー」-時を経て魂を持った車②-

今日は車についての思い出を語る後編でございます。

昭和59年式のチェイサーのオーナーとなった僕はカテキョバイトを始め、ちょうどおとずれたやど祭での車出しをし、大学にも買い物にもクラブにも旅行にも就活にもとにかく車で出かけるようになりました。

 
一番遠くまで行ったのが三年生の夏の山形県鶴岡市。二週間で二往復(ほぼ下道)とかまぁよくやったもんだ。

山形行きの車でどんなノリか“このチェイサーに名前をつけよう!”ってことになり、天才コピーライターまるこによって“パンサー”と名付けられました。

 

パンサーはとにかく不思議な車。

 
110キロ超えて走るとちんこんちんこん鳴るのは昔の車ながらのご愛嬌としても

勝手にドアロックしたり勝手に解除したり。基本は車外に出てドアを閉めると間違いなくオートロック。最新仕様顔負けw

助手席に乗っていたぜんぽが落とした食べかけのあんパンはついに最後まで出てこなかった。落とした瞬間を僕も横目で見てたのに。すぐ探したのに。当然ドアも閉まっていたしその後車内をくまなく探したし。“時にパンサーは飯を食う”とゆー小学生並みの結論に達せざるを得ませんでした。
 

 
そして収納力が半端ない!パンサーはトランクを開けっ放しにして荷物をフリーズさせるのです。

今までに運んだ物は

 
自転車(企画っ子はかなりの人がお世話になったのではw)、メルナイトに使う大量の暗幕全部、箱木家の棚、よっしーの家のもの全て(二往復半)、やど祭Sあ御輿…よく頑張ってくれました。
 

 
パンサーが快調に動いてくれるかは本当にこいつの気分次第。遠藤君に乗らせるとなぜか毎回動かなくなり、一方僕は 自らのミスで何度かJAFと仙一のお世話になりました。。。

 

今までにパンサーの経験した故障&アクシデント&違反は

 

助手席のパワーウインド壊れる、脱輪、バッテリー上がり、バッテリー取り付け不具合で動かなくなる、駐禁、スピード違反、ガス欠、エアコン壊れる、駐車場でポールにこすってライトカバー割れる、カーステ壊れる、タイミングベルト切れる、パンク、筑波大学入構違反35点、運転席のドア壊れて永久に半ドア状態・・・

 

まさに伝説のオンパレード。。。

  

そんな中、対物・対人事故だけは起こさずに済みました。。パンサーが僕を守っていてくれたんだと思っています。 

 

パンサーでは車体感覚が気持ち悪いくらいあって斜め後ろの景色も分かったから都内の幹線道路もタクシーと同じノリですいすい車線変更しまくってたんだけど、今は会社のちょっと大きめの車にまだ慣れてないっす。。。300キロ近く走ってもパンサーで走った30000キロの癖がなかなか抜けなかったの。。。

 

最近は、勘とか感性でなくきっちりとした判断とメリハリをもって運転していくって課題をもって練習しているよ。。 

  

これから走るのは茨城の田舎道の国道ではなく都内の繁華街や住宅街。。一瞬の気の緩みさえあっちゃ駄目だし、そうでなくても危なっかしい運転してたらお客様不安にさせちゃうもんな。。

 

頑張ろう!

 

車の話ばっかですんませんでした☆明日は反響がけっこうあったあの企画の第2弾!!!!!

「パンサー」-時を経て魂をもった車①-

今回は人でなくについて書きます。本日は愛車パンサーと出会うまでの話。。
 

 
一年の夏頃はまわりが免許を取りに行く中、僕はお金もないし東京で働くつもりだし、別に免許や車なんてなくてもな~なんて思ってました。

でも、その年の冬に街のことも道のことも分からずに好きな人をリードできなかった経験をして、絶対車を持って自分で色んなところへ連れて行けるようになる!と決意したわけです(*^▽^*)

 
 
バイトして貯めた金で二年の夏に免許合宿に行き、なんとか一発合格。あとはいよいよ車!

ところが無礼攻発足で個人練以外にダンスに費やす時間が増えてバイトが思うようにできなくなったり、

一方で平砂宿舎の名義貸しがばれて強制退去させられ、ヤマサ荘に移り住むにあたって色々家具を買ったり、

親への借金を返したりで全く車購入のメドがつかない日々が流れていきました。

 

 
そんな中、NORIOさんが卒業にあたって車を安く譲っても良いと言ってくれました!これはまさに僕が車持ちになれる最初で最後のチャンス!!

…ところが

“俺の友達に10万でチェイサー買いたいって奴がいるんすよ~”

しょーへーの気が利く&僕にとっては何とも恨めしい仲介立候補。

 

NORIOさんからは10万円を超える付加価値が僕にあるかどうかの課題として“ウインドミル5周→チェアーができたらやすに譲る”と宣言。

僕の20歳の冬は家の入り用な物購入に加えて頭金を揃えるためのバイト、平行してテストに備えたウインド練、ととにかく車だけを夢見てあれこれ動いていました。

 
その甲斐あってウインドテストも成功☆

 

ダンス場ですっぽんぽんにさせられたのも良い思い出だw

 
こうして僕は昭和59年式のチェイサーのオーナーになりました。明日はこいつがパンサーとなって数々のミラクルを起こしながらも僕を守っていてくれた話でも書くことにします☆


「雪衣」-きゃぴきゃぴだけが雪衣じゃない-

雪衣との出会いは一年生の頃のJAM合宿。

黄色Tシャツ(原色)に赤いハーフパンツ(原色)、金髪の雪衣を見てうわぁーなんかこのコ我が強そうだな~なんて第一印象でした(今思い返すとその3ヶ月くらい前は自分がそんな格好してたんだけど☆)

学祭の日はみんなでガスト行って雪衣とあいと同じテーブルになったんよ。

( ̄‐ ̄;)…

なんだこれ…

つかれる…

その溢れるきゃぴきゃぴ具合は当時の僕のキャパを軽く越えていましたw

 
もちろん踊ってる時もきゃぴきゃぴ。

 
サイゼでもきゃぴきゃぴ“ゆい一年生ブレイカーのマスコットガールになる~♪♪”

 
ダンス場でもきゃぴきゃぴ。“けぇこさぁんまゆみさぁんしんちゃ~ん♪♪”黄色い声が絶え間なく飛び交っていました。

 
“あんなサークルに遊びにきてるだけのようなコは練習もしないしついてけなくなるよ”当初一部の人からはそう予想されていた雪衣ですがいつの間にかその明るさとJAM好きを買われて幹部になっており、

持ち前のマネージャー気質を発揮してみるみるうちにJAMに欠かせない中心人物になっていました。3年になる頃には

“やす~あたし今週4日しか練習できてないや~駄目駄目だわ”


環境は人に責任感を付与しますね。。

 
 
そしてKOMMITを経て、JAMの副部長を経て、後輩みんなから慕われる存在になっていた雪衣。

 

「雪衣も来るよ!」といえばJAM後の飯や遊びに女の子を誘える確率はぐぐっと上がるのでしばしば助かってもいますw

そしていつのまにか、真面目な事でもプライベートな事でも何でも話せる仲になっていて、頼りにされたりすると嬉しくなってしまう☆

 
いつから雪衣とはこんな感じになったんだっけな~って思い返してみたら、3年の夏の雪衣のブログにこんな記事があったのを思い出した。

みんなでダンディラツアーで京都行ったときの雪衣の日記


>8人で、清水寺→南禅寺→うどんツアーしました。
>清水寺に行ったのは4回目くらいだけど、初めて随求堂(ずいぐどう)ってゆうお堂に入った。「胎内めぐり」っていって真っ暗でほんとになんにも見えないんだ。 こんなにもやす(ゆいの前を歩いてた)を必要としたのは初めてでした☆


…いやいや、本当にたまたま前にいただけじゃん!!

 

…何がきっかけで関係が変わっていくかなんて分かりませんね。。
 
我が強いけどこーゆー変なところで女の子らしくなる所とか、3年連続で誕生日プレゼントあげてるのに毎年僕の誕生日を忘れる所とか、B型気質でマイペースな性格が気取らずに済むから好きだったりもするのですw これからも仲良くしましょ♪♪

 

次は・・・「パンサー」

「まはら」-3学食堂前によくいる、大学で一番恐い格好してるあの人。-

まはらとの出会いは衝撃的だったな。

 

一年生の頃の春メル、見学に来ていた当時の新入生は打ち上げに新歓の代わりとして参加させてもらってたんよ。
 
RJBに飲まされさんざん酔っ払った僕はそれまでしゃべったことなかったまはらに話しかけてみようとしました。。

  
“このあとさぁ~1年生で遊んだりしよ~よ★”
 
“…お前何イッちゃってんの??ちょっと来いよ、あんま調子のってると、狩っちゃうよ??”
 
“は?ちょ、わけわかんねーし、俺、家平砂だし”

  
あまりの反応に僕はテンパって意味分からないこと言ってましたw(まはらの言うこっちってのがやや一の矢方向を差していたの)
 
でも、そんな喧嘩のあと(当然の如く僕は悔しくて泣いたw)だけど、不思議なことに3ヶ月もしないうちに普通にしゃべるようになってましたね。。。

 
 
一年の夏休みは免許合宿もなく実家も関東でバイトと練習しかやることがなかった僕、けい、まはら、あきらの4人がよくつるんでた。練習後はよく一の矢にたまって朝までだべってました。
 
ある夜も4人で一の矢にいて、、僕はやど祭の先輩がたまたま通りかかったのをを見かけて呼び掛けました。
 

 
“みんみんさん★(やどかりネーム)”
 
呼ばれて気づいたものの、お風呂上がりでメガネをかけていらっしゃらないせいか誰かを認識していない様子のみんみんさん。立ち止まってこっちを見ている。すると
  

 
“見てんじゃねーよ、てめー!!”
  

 
みんみんさんは逃げ去りました。

 
そりゃねーべまはら(;_;)

  
 
“基礎練だるいんだけど!”とヒップホップ部屋を抜け出してきては僕とけいとあきんぼ達と一緒にウインドミル練習したり

メールがいつもギャル文字だった時期があったり

 

免取処分受けたりと話題に尽きない彼だけど

 

 

実はすごく頭切れる。賢いっていうか地頭も良い。色々なこと、分かってる。

 

そしてめっちゃ優しくて気遣いができるんです。

 

 

・・・っていっても本人と関わったことない人には絶対信じてもらえないんだろうなww

 

 

まはらがぶっとんだ行動、言動をした時は人間くさくシャイな一面のてれ隠しなんだと思ってやってくださいな☆いつも何かと心配してくれてありがとねぇ(^^)

 

明日は、「雪衣」。取り上げてほしい方自薦他薦問わず募集中です♪

「やたべ」-やたら筋肉質なパーパーのスタッフ-

やたべと初めて会ったのはある日のジャムが終わった二学の下。あーやど祭全装部局に入ってきた一年生だ~と思って話しかけに行ったら

“あ、ぎゃっつさん、しめてください!しめてください!”

 
(※しめる…やど祭のミーティング等での最後の挨拶)

…初対面の時からあの独特の盛り上がり方でしたw



いつのまにかフリーズ練にはまるようになり、やど祭では全装部局部長になったやたべ。

新歓で出会ったやたべを慕って10人以上の新入生がやど祭委員に入ったって話を聞いたとき、「あぁ、この組織はこれから彼を軸として動いていくんだな」って確信したのを覚えているよ。。。

 

 

それからの1年半の彼は同じチームとして色々心配になってしまうくらいのしんどさ・大変さで

 

ジャムっ子がクラブに言行ったり飯食べ行ったり遊んだりするときも仕事やそのつきあいで来られず

 

逆に一度練習の予定が入ってしまえば友達とゆっくりする時間がなくなり

 

「どっちも好きでやってるからいいんすけどね、はぁーw(←ひき笑い)」

 

って明るく言いつつ、たまぁに寂しそうにしてる様子を見かけたよ。。。きっとやど祭の全装部長→三年副委員長として、パワームーブに一切手をださず自分のスタイルを追求しているブレイカーとして、みんなには見えない景色が彼には見えているんじゃないかな。

 

 

でも最近は無礼攻七転踊りCOMEとショー出演も増えたし、メルの3年オープニングやセレブの登山隊みたいに楽しんで踊ってるな~ってのがすごく伝わってくるダンスも出てきて、このままジャム・やど祭両サークルの後輩に影響を与えまくっていってほしいです。

 

 

やたべに会いたい皆様はこちら→パーティーパーティー   このネタ前やったか。。。。


明日は・・・「まはら」